キャンプ / ただのブログ

酒は飲んでも飲まれるな。故 古谷三敏さんに捧ぐ

タイトル前半に深い意味はありませんし、キャンプの記事でもありませんし、別に酒を飲んで失敗することをたしなめる記事でもありません。どちらかというとちょっとセンチメンタルな気分で書いてます。

私も四十歳を超えまして、ここ数年昔から好きだった年配の俳優さんや有名人が鬼籍に入られることも多くございます。まことに寂しい限りでございます。

自分が40になっているので、皆さん40歳年を取るので仕方のないことですが、本日、個人的には結構ショックなニュースが入ってきました。

漫画家の古谷三敏さんが亡くなられました。「レモン・ハート」ですよねえ。高校時代(?)のバイブルでした。

私、「割となんにでも興味を持つ」人間でしたので、一番初めに強く興味を持った「コンピュータ」についてはもうずいぶん早い段階から「コンピュータの仕事をする」と決めてはいたんですが、実際にコンピュータエンジニアとして就職する二十歳になるまでは「小説家になろう(某サイトの名前ではありません。念のため)」とか言い出して小説を書いてみたり、「漫画家になろう」とか言い出して絵をかいてみたり、割といろんなことに「手だけ」出していました。

その中でも一番長く手を出していたはもちろんコンピュータですが、その次に長く手を出していたのが「酒」だったんですねえ。「バーテンダーになろう」とか「ソムリエになろう」とか日替わり定食みたいにコロコロ目標が変わる感じで数年間、いろいろな酒を買って飲みました。結構無茶をして高いのも買って飲みました。

一番高かったのはDRCのRichebourgでした。本当はRomanee Contiが飲みたかったんです。買えるかあんな高いの。

とはいえリシュブールでもボーナス一回分ぶっ飛んでいきましたので、今考えると何してたんだろうなー、と思います。「ただ高いのが飲んでみたかった」というだけで、しかも一人で飲んで。たいしてうまいもんじゃかったですよ。1979年のシャトー・ムートン(日本人画家・堂本 尚郎氏がラベルを描きました)も買って飲みましたね。あんまりいい年じゃなかったみたいで安かった。それでも数万円しましたが。

ある年に私の誕生日(1/28日)に当時入り浸っていた同級生の家で鍋パーティーをやったのでその時にムートンを開けました。うまいまずいで言うならそれほどうまくないけど他と比べて濃厚な感じはしました。さすが5大シャトー。2002年くらいの時点で少し旬は過ぎちゃったかな、といった感じでしたので、やっぱりそれほど良い年ではなかったんだろうと思います1979年のムートン。

そして、その翌日鍋パのメンツが全員食中毒になりました。

「ムートンが原因だ」と関係者の皆が言いましたが、アホか。原因は「3日前から部屋の隅においてあった某牛丼屋の余った白米」だわ。「締めに雑炊を作るぞ」といって手近にあった3日前のごはんの入ったパックのにおいをかいで「イケる!」と言って鍋に投入したのを俺むはこの目で見たからな。

まあ、高い酒自慢はこれくらいにして(開き直りますが、自慢ですよ)。

それからもシングルモルトとかいろいろと飲みましたが、それらいろいろな「酒」に興味を持たせてくれたのが

「BAR レモン・ハート」

という古谷三敏さんの漫画だったんですね。

リシュブールを買ったのは、次のエピソードを読んだから。
「自殺前の最後の一杯をレモン・ハートに飲みに来た客が海に身投げしたときにマスターが”ロマネ・コンテがあるんですよ!”と呼びかけてそれ飲みたさに死にきれずに上がってきた」
というエピソード。ロマネコンティなんて買えないから結局リシュブールで妥協です。

ムートンを買ったのは「シャトー・ムートンは毎年ラベルデザインが変わり、1979年は日本人がラベルを描いてんですよ」というエピソードを見たから買いました。

いろいろなエピソードがあって、笑い話あり人情話あり。酒ってのはいいもんだなあ、と思いますね。レモン・ハートで紹介されているお酒をとにかく買って飲みました。

やっぱり一人で飲むものじゃないですね。リシュブールも誰かと飲んだら多分もっとおいしかったはず。

ムートンは上でああいってますが、おいしかったですよ。翌日ひどい目にあいましたけどそれはムートンのせいじゃない。腐ったご飯のせい。


40過ぎてからあんまり酒の銘柄にはこだわらなくなってしまいましたが、たまに飲み屋や酒屋でウイスキーや有名ワインのボトルを目にすると、「あのとき、あんなシチュエーションでこれ飲んだなー」と、鮮明に思い出すんですよね。で、その記憶のいちばんの源に、漫画「レモン・ハート」があるんですよねえ。

古谷先生のご冥福をお祈りいたします。

素晴らしい酒の思い出をありがとうございました。